2021年6月15日(火)のこと/大豆田とわ子のこと
『大豆田とわ子と三人の元夫』、見たぞー。
ジャーナリングレベルで、思ったことを書いておくだけ。
総じて、大好きな作品がもう一つ増えた。(ひさびさに『最高の離婚』の1〜3話を見たらまぁ面白かったのだけど、やっぱりいまの自分にはしんどかったし、同じくテーマが「結婚」でも、とわ子アップデートされてるわ…)
鈴木みのりさんのツイートを見て、最終話で風吹ジュンさん演じる「マー」にあのセリフを言わせる構造は確かに「いいのかな」と、感じてしまったし、かごめがなぜ死んだのか(作品によって殺されたのか)についてはSisterleeの記事に言及されていた通りで、どちらも作品にとって都合がいいマイノリティの描き方になっているかもしれない。
いろんな描き方がもちろん過渡期だと思いながら…。
想像以上のラブコメで、ドラマティックな作品だった。
社長、母親、元妻、恋をする人、誰かの子ども、たくさんの肩書きや立場を持ちながらも、ずっととわ子はとわ子で、それを全回通して「ずっと君は君でしょ」と言ってくれる人たちによってストーリーが進んでいった感じ。
たくさんの迷いと葛藤と、悲しさも寂しさもありながら、選んだ道を「これでいいんだよ」って自分に言うための物語であり、2人じゃなくて3人で生きるを選ぶ物語であり、散り散りになってしまうような形をアップデートしていく物語であり、いまの自分の気持ちに、あるいはたくさんの人たちの気持ちに「あぁそうじゃんね」を届ける物語だった。
強くなれなかったと悔やむシンシンも、弱さをつなげようとするはっさくも、なんか全然変わらないかたろうも、出会いも別れも、別れたいまも、ずっと続いている話だった。根なし草のようにひょうひょうと描かれながらも、ひょうひょうと描かれる理由も感じられて。すごかったな。
でも本当に希望だった。
いろんな痛みも苦しみも、別れも、背負い続けるのではなく、請け負って、わたしあって、続けていける、フィクションでしかないかもしれないけど、それぞれの別れは苦しくて辛かったはずだけど、それでも生きていく、続いていく話だった。
社長で、別れた夫たちにも想われていて、いい部屋に住んでいて、シングルマザーでも子どもに無理をさせることなく、どこかモテる。第一話、そんな描き方に「こうまでしないとドラマで夢を描けなくなってしまったのか」と思っていたけど、全話通して、とても現実の感情だった。大好きになってしまった。
9話でのはっさくとのありもしない今をめぐるシーンも、最終話の唄の言葉も、それだけでなくストーリーのそこここに、涙がたくさん詰まった笑える話だったなー。
こっから完全なるじぶんの声。
誰かと生きる人生も、家庭を作って健全にいく人生もいいし幸せなんだと思うんだけど、最後にまず出てきたのが「わたしは誰のものにもなりたくない」「周りの人を決め切ることはしたくない」だった。
だって寂しい。
恋人や夫と(子どもと)仕事仲間と友人と、わたしはみんなと生きていきたい。不可解なことも理不尽なこともあると思う。でもどんなときも寂しさだけを軸にはしない。
わたしの中では全て大切なもの。仕事をして友人と過ごして、恋をして家庭をして、理解し合って。満たされて、満たしていきたい。どれか一方に依存するようなことはしない。
その瞬間、誰かのために生きる自分も、自分が満たされるために生きる自分も、全部自分のためだ。全てを並べおいて、その中心の、一段高いところに自分を置いておきたい。
みんなで幸せになる。