平熱日記

平熱の日記

自分の好きに金を使う人生

先週月曜、友人の誘いに乗ってベリーダンスを観に行った。年末から友人の発表会を観たり、妹に『セクシー田中さん』をおすすめされたり、ベリーダンスに呼ばれている。とにかく観ているだけでパワーが湧くので、今回も楽しく観ていた。

 

場所は渋谷のなかなか素敵なお店で、お酒もご飯も美味しく、なんやかや話しながらゆっくり味わうこともひさびさの感覚。この友人と過ごすこんな時間がわたしは心から好き。お互いドロドロに酔っ払ったり、本気で映画や小説の話をして、今後学んでいきたいこと、人生なんかについてをつらつら話す。社会人になっても愛すべき友人は作れると証明してくれる人。

 

ふと思い出したツイートがある。

クイアの方(女性)で、女性と別れて周りの女友達から「男性と結婚すりゃいい」と勧められる話。多分同世代で、わかるよ、女性の結婚はうまくいけば人生のステップアップで、まわりの女性は男性と結婚して明らかに生活のレベルが上がっているもんね、と。

女友達の発言にグロさを感じながらも、この世の一定、女の人生にとって結婚はそういうもんなんだろうなと思う。男女間の賃金差について記事を読んでいたけど、そういうの目にするたびこの国で生きるのが正直しんどい。でもわたしの人生のテーマが「日本の女の子」になりつつあるから、逃げちゃいけない話でもある。女友達も自分の人生を肯定しなきゃやってられないわけで、発言を肯定するつもりはさらさらないけど、わからないこともない。

で、結婚である。

自分の人生において、それが射程距離になりつつあるいま(全然撃つ気はない)、どう捉えたらいいのか。同性婚や選択的夫婦別姓が実現されていないのは論外として、あくまで自分と結婚について。

自分のライフステージが変わろうとも決めていることはあって、それは経済的に自立し続けること。その上で、友人や好きな人、家族とのご飯、経験、ギフトにかけるお金は惜しまないこと。(幸せなお金の使い方というのがあって、他人にかけること、経験にかけることだったりする)

結婚という制度をうまく使えなそうなら、使わない選択も全然ある。あと、籍は新しく作られるだけであっていずれかに入ってるわけじゃないと思うんだけど、入籍って表現なんなんだろうな。嫁とか奥さんとか呼ばれたら一生キモいな。主人とか旦那さん、とかも無理やな。

 

自分の位置感というか、この世というか、限りないグラデーションのような気がしていて、それは性別に関しても、考え方や価値観もそうだと思ってる。言葉も、グラデーションを形にするならこう、というもので、単なる道具でしかないと。自分の心や起きている事象のグラデーションに、より精度高くフィットさせるために語彙力がいるだけ。

 

ルールや制度っていうものは難しくて、する/しないでこの世を2分してしまうように感じる。存在もそうで、ある/ないでこの世が2分されてしまう気もする。社会が成り立つために白黒があることは必要で、結婚や子どもの存在は、する/しない、ある/ないで、属性を分けてしまうように感じてしまう。

 

とはいえ無限のグラデーションを極端にわかりやすくするために可視化したものがルールや制度であって、そういう2分化された統計に出てこないところに、人の人生はあるんじゃないの、と。

 

同じ結婚なんてない。その人が選んだ道で、わたしたちを別つものなんてない、地続きなはずなのに。自分の尺度に当てはめる、社会でよくある見方に当てはめることの怖さがやっぱりあるなと思う。

 

自分にとって結婚とは? という問いが立てられることもものすごく特権的でもあるわけだ。やだ、抗わなきゃいけないものがたくさんある。

 

ふと振り返ったときに、みんなでわらいたいだけなのに。