平熱日記

平熱の日記

2021年5月20日(木)のこと/他人の靴を履いてみること、連帯すること

入管法改正(悪)法案が廃案にされたのが5月18日。

1つ課題が前に進んだかと思うと、最悪のニュースが飛び込んでくるのが日常になりつつあって、今日は「LGBT理解増進法」了承見送りのニュースが目に入った。

この文章を書きながらどうしても涙がにじんでしまう。

昨日、結婚報道を受けての「制度からこぼれ落とされる人たち」についてサラッと書いたのだけど、それ以前の話だった。

自民党は20日、LGBTなどに対する理解増進に向け、超党派議員連盟で合意した法案の審査を行いました。法案の目的には「性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」と明記されていますが、出席者によりますと、「法を盾に裁判が乱発する」との意見が相次いだほか、「道徳的にLGBTは認められない」「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」などの声も上がり、法案に反対する議員が大勢を占めたということです。

「いろんな副作用も」LGBT理解増進法案 自民部会で紛糾 了承見送り|TBS NEWS

性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」

当たり前だろ、と声に出したくなるけれど、どうもこの国ではこんな当たり前にですら疑義が涌く。しかも国会議員から。

「法を盾に裁判が乱立」「道徳的にLGBTは認められない」「人間は生物学上、種の保存をしなければならない」

驚いてしまうし、人をなんだと思っているのかと怒り狂いそうになるけど(乱立て、道徳的て、種の保存て…)、これが政治を担う人たちの発言だと思うと、途方に暮れそうになる。理解増進というのも圧倒的にマジョリティ視点でなんなのなんだけど。

「人を人と思わない」人たちが、生産性だの定義のよくわからない残酷な言葉を振りかざして、これまでも他人を踏みにじっている。

これまでには「女性は産む機械」なんてのもあったし、最近は”伝統的な家族像”を標榜する議員がYouTubeでDVシェルターの場所を明かしたこともあった(シェルターはDV被害者の一時保護を目的とした施設で、安全性を保つために場所は一切公表されないことになっている)。山谷氏の場合はトランス差別発言もかけ合わさって……。

 

わたしは生まれたときに割り当てられた性別が女性で、自分も女性だと思っているし、異性愛者だ。例えば、女性を取り巻く社会課題に関することには当事者としてかなり敏感に反応できるし、自身の経験や周りの経験から、リアルな実感を持って想像ができる。

シスジェンダーヘテロセクシュアルな自分は、こういった話題になると圧倒的マジョリティになる。特権を持っている側。この社会で生きることに不具合は少ないわけで、もしかしたら見当外れなことで怒っているかもしれないし、怒りを表に出したくない、悲しみや痛みを一人で抱えている、そんな人がいるかも知れないと思うと、心が苦しくなる。わたしなんかが騒いでいいのか、本当にわからなくなる。もし今回の件がよくある「誤解を招く発言」として謝罪されたとして、本質的に何が変わるのだろう、と思ったりもする。

でも、声を上げることにした。

結構好きな本に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』というものがある(ブレイディみかこさん著)。そのなかで一番好きなのが、「エンパシー」と「シンパシー」の違いについての記載。いろいろすっ飛ばして言うと、「エンパシー」は他人の靴を履いてみること=共感や感情移入、「シンパシー」は同情・同意を指す。

今回の場合、LGBTと呼ばれる範囲に該当する方々に対してわたしは同情したいわけではないし、同じ立場から同じ口調で意見をいうこともできない。でも、「他人の靴を履いてみる」ことで、見える景色の違いや歩きづらさに気づくこと、あるいは気づくきっかけがあると思うのだ。ここから連帯が始まるし、”We”が始まるのだとも思う。

そもそも、当事者の方々は100%カミングアウトしているわけではないし、声を上げづらい方もいるんじゃないかな……そんなことないかな、違ったら申し訳ない。そんな方々も(いるとして)生きやすい社会をつくるために、マジョリティの側に立っている自分が動くのは、事を早く進める一助になるんじゃないかなと思う。

 

あまりのできごとに、長々と…。論点は尽きない話だし、まだまだ学び、言葉を尽くして語らないといけないことはたくさんある。でも、戦う当事者の方がいる限りは、差別に加担しない選択を、取り続けようと思います。(たくさんの発信されている方、声を出さないでいる方の状況を思い浮かべる。わたしはなんにもできない。本当に不甲斐ない)

 

(法整備すべきかから発言の是非まで、当事者の中にもいろんなグラデーションがあって当たり前だと思っており、また、この報道へ関心の有る無しも自由だと思っています。あくまでわたしの立場を記したごく個人的な日記です)

 

特に女性は、怒りをあらわにすることになれていないといわれたりしている。怒る準備をしていないと、大切なものを踏まれていても、あっけに取られて主張をすることができないことが往々にしてある、と。怒りは大切なエネルギーであり、決して絶対にネガティブなものではないと、伝えていきたい。

 

本日は自転車に乗って、隣の街までいった。片道10分もかからずにバスで行っていた街につくなんて…と感動した。思い切って車道も走ってみたけど、めちゃくちゃ怖いやん東京の道…。明日は普通に散歩に行こう…。